子どもの素晴らしさ

子どもの素晴らしさ

今日は私の住む町のお祭りの日でした。小さな町の小さな神社の祭りですが、毎年、子供会と神社を守る会の長老の方々と一緒になり、おはやしや太鼓を少し前から練習し、当日はやぐらを引きながら町を練り歩くという行事ごとをしています。

今年は下の子の子供会のお世話役の為、私も法被をきて早朝から、獅子舞とみこしを担ぐ子ども達と一緒に担当家庭を回り歩きました。

「わっしょい、わっしょい」という掛声を景気よくかけて子どもと共に歩き、町の人の笑顔に触れることや、青い空を見上げて風を感じながらとても平和で楽しい時間を過ごしていることに気がつきました。何よりも子ども達の可愛い屈託のない笑顔が、日頃の疲れを癒してくれました。

子どもは本当にこの世の宝ものだとつくづく思います。子どもの笑顔やしぐさ、ふるまいが無限大の可能性を秘めている大切な命の一部でどんな子どもも私にはきらきらと輝いて見えてしかたありませんでした。

例え歩いている途中でやんちゃが過ぎて手がかかってその時は困り果てても、そんなことは取るに足りないことだと私は思ってしまいます。そんな姿さえもその子らしいの個性じゃないかと今日はそんなふうにとても穏やかな気持ちで子ども達を見ることができました。

それとは別に考える事も多いです。
時々思います。全ての物事に対する執着から離れることができれば、もっと自由に楽になれるのではないかと。

夢や願望は切に望まなければ手にすることができませんがその夢や願望も間違ったところから選ぶといつしか執着に変わり、それが自分を苦しめることになるのです。

苦しくなった時は本当に自分の欲しいものは何なのかと自分に聞いてみることが大事かと思います。なぜそこにこだわるのかなぜそこにいかなくてはいけないのか。道を辿っていくとどこかで迷子になったことに気づきます。もっと、もっとと思えばもっともっとと求めることになるでしょうし、自分の思い通りにしようとすれば、何もかもがそこから遠ざかるような出来ごとが起こることもあります。自分の望んだようになった時はきっと一瞬の出来事のように自分の思考とは掛け離れた別のところで物事が動いていて、気がつくとそんな状況であったということがたぶんそういうことだと言えると思います。

なので、焦って無理になにかを変えようとがんばってもすぐには思ったような結果は表れないのではと思うのです。夢や願いをそっと胸に抱きながら執着を手放しゆったりとおおきな流れに身を任せながら、全ての起こる出来事を少し楽しむくらいの余裕があればきっといつか気がつけばそんな状況になっているのなら私は焦らずゆっくりとこの旅を進めて、いたいのです。そしてもう一度考えてみるのです。私のやりたいことは何なのか、本当に望むもとはのはなんなのか。。